父の事、母の事

この三日間久しぶりに千葉の実家に帰った。
父も母も80代、二人暮らしはやっとなんとか、という感じ。
両親とも薬剤師で父はほぼリタイアしている市薬剤師会の相談役、頭脳は孫と金属の溶接技術について語りあえるぐらいクリアだけれど杖歩行、一方母は健脚で丈夫だが認知症が日を追うことに進行しているのはめったに訪れないからこそ私の目には明らかだった。
でも家族というのはその現実をなかなか受け入れられない、年齢相応のもの忘れだから、、と。。
私の「お母さんは認知症だから」という言葉は父に入っていかなかった。
父がめんどうくさい、自分だっていろいろ病気を持っているし、で重い現実から逃避していたのは仕方がなかったのだろうと思う。

ある日、母が出かけて方向がわからずに、遠くまで歩いて行ってしまい、けがをして救急車で運ばれ、父は外科医に「奥様は認知症ですから絶対に一人で出さないでください」と釘をさされた。
それでも、また一人でお買い物に出してしまい、待てど暮らせど母が帰って来ず私に電話がかかってきたのは夜の10時を過ぎていた。
「お母さん昼に出てまだ帰って来ないんだよー。タクシーで帰ってこいって携帯に電話したけど、もう電源も切れてる、捜索願い出しだんだ」
え”??なんでもっと早く電話してくれないの?、、、、忙しくて頼れない娘に心配かけたくなかったんだろうか。。

でも不思議に私はすぐに行こうとか、明日一番の新幹線でなどとはは全く考えなかった、心配する気にならなかった?。。が説明不能だが正直な感覚だった。夫にもあきれられた、「どういう娘だ!!じゃあいつ心配するの君は⁉︎」と罵倒された。それが普通だと思う。
でも絶対見つかるとしか私には思えなかった。
リーディングするととてもとても疲れているが、無事で温かいところにいる母を感じた。絶対に帰ってくる。

かくして母は夜中の1時過ぎに国道沿いに歩いて行ってしまった30k先‼︎からタクシーで帰ってきた。住所は言えたようだ。
電話が鳴り、「お母さん今帰ってきたよ!」足に靴擦れもまめひとつできていなかったという。あ”ーよかったーと思った、現実に死は隣り合わせだったのだから。
この体験で父はやっとこさ母の認知症を認め、自分がなんとかしなければ、と思ったようで、専門医にかかるには、介護保険を使うには、など以前妹が渡していた資料が読めるようになってくれた!これは臭いものには蓋をしてしまう父には快挙だ!

この三日間、診療所の受診につきあい、認知症の薬を処方していただき、(Drは専門医の隣で開業してる薬剤師と自己紹介したら何処方いたしましょうかだったけど)そのよく日には三人で有料老人ホームを見学に行った。
要介護状態の母を父が一人で見続けるのは酷なこと、二人にとっても娘の私と妹にとっても幸せなことは何かを考えると一番現実的な選択だと思えた。
父も母もそのホームをとても気に入ってくれたようで、前向きに検討してくれることになった。
3日間で物事が大きく前に進んで本当に良かったと思う、もちろん私が医療従事者で日々認知症の患者さんや家族と接しているからもある、妹に「ミラクルだねー、凄ーい」とメールをもらい「だってブルドーザーだもん、私」まだまだこの行動力は衰えてない?

新幹線で新潟に帰る道すがら突然泣き出してしまった、自分でもびっくりだったけど、忙しいを理由に見ないようにしていた父と母の現実は相当な私の心の重荷になっていたのだ、と自覚できた。私にできることはあまりにも少ないからだ。でも、今回精一杯私なりにできることをさせていただいた。

有料老人ホームはまるでホテルのよう、二人部屋は広いリビングとベッドルームがあり、医師の往診あり、看護師常駐、美容院、歯科医は来てくれる、コンビニまである!一つの街だと思った。こういったホームは近年乱立しているらしい、事情通の人によれば、つぶれないところ選ばなきゃだめだよ、とのことだった。契約書もよく読まないと、ですね。

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